「おうち探し.com」というサイトなのに、突然ですが・・・住宅には関係ありませんが・・明日このドラマが放送ということで書かせてもらいます。

明日、シーナ&ロケッツの半生ドラマがNHKで放送されるということで個人的にも楽しみにしています。久留米の鮎川誠さんと、北九州のシーナさんの若い頃のドラマで、
デビュー前のエピソード等々・・当時の状況ってのはどうだったのか興味津々です。

「You May Dream」ユー・メイ・ドリームという曲は、シナロケ(シーナ&ロケッツ)が、「めんたいロック」系から、YMOの細野晴臣プロデュースで、それまでのパンク系の曲とはガラッと変わって、洗練された曲でした。
この曲で全国的に有名になった曲です。自分も好きな曲です。

明日 3月2日(金)夜7時30分から シーナ&ロケッツ半生のドラマYou May Dream見たいと思います。NHK・・・九州だけの放送みたいです。
シーナさん役には、久留米出身のARB石橋凌さんの娘 石橋静河さんという連想ができないキャスティングなので、楽しみです。


YouTubeに動画がありましたのでリンクします・・・こちら

昔、シーナ&ロケッツのライブはよく行きましたが、最高のライブは、2003年7月5日に、久留米六角堂広場(ロッカクドー)が完成した時に開催されたライブでした。

なんと、その時の写真が見つかったのでアップします。(原本は不明・・鮎川さんも見てくれないかな・・・鮎川さんの掲示板に書き込もうとしましたが書けませんでした)
当時のデジカメの性能は良くなかったので、ぼけててすみません。・・とにかく、この時のパフォーマンスは最高でした。

スライドショーには JavaScript が必要です。

 


ちなみに、2003年7月・・その時の感想を書いた日記です・・

2003年7月5日(土)

今日、久留米ロッカクドーでSHEENA & THE ROKKETS ライブがあった・・・会場は超満杯だった。

鮎川さんのテンションも最高潮で、久留米弁も絶好調・・・・過去ず~っとシナロケを見てるが、今まで見た中で最高に良かった。

ギターの一発目の音をスゲェ気合入れて弾いていた・・・スゴカッタ。
年齢的にもきついかもしれないが、鮎川さん自身が一番今日のライブのデキの良さ喜んでると思う。
カッコいい・・シーナさんもイイ・・・ベースの渡辺さんも・・えかった。

終了後、大興奮状態で大満足で帰ってる途中・・・知り合いの人(鮎川さんの明善高校時代の親友ミサオさん)から電話がかかり、
「今、マコちゃんと楽屋におるけん、ちょっとコンネ」・・ちゅうことだった。
鮎川さんと一緒なのか・・いいなあミサオさんは・・・と思いつつ、恥ずかしいので帰った。(行けばよかった・・と後悔)

その操さんという人は、浜田省吾さんとも仲良しみたいで、昔、浜田省吾さんも久留米にいたということを言ってあったが、定かではない・・それで福岡でコンサートがあると、いつも楽屋に一緒に操さんがいるのです。
ある日、操さんから電話がかかり「浜田がここにおるばってん、電話代ろうか」と突然電話する、恐ろしい人でした。

その他に、昔、くすミュージックの社長と操さんが友達ということで、いつも招待されていたが、自分もついでに、連れて行ってもらっていた・・・オアシスも、シエリル・クロウもバックステージで見せてもらった。(しかしオアシスのライブは、3曲ぐらいをバンド演奏してが、ギャラガー兄弟の喧嘩で、楽屋に引っ込んだままステージに現れなかった。満員の観客からブーイングの嵐を受け、15分ぐらいたった後、ノエルギャラガーがギター1本を持ってステージに登場し、一人だけで10曲ぐらいMC無しで、歌って終了した。勿論会場は金返せコールの嵐・・主催者側のアナウンスでは、オアシスは、10数曲演奏したので、このコンサートは成立したものとして払い戻しはしないということだった。
当時、世界一のバンドだったオアシスは、こういう無茶苦茶なことも許されるのかと感心した。くすミュージックも大変だったろう。

以上が、当時の自分の日記からの抜粋でした。

鮎川さんの愛用のGibsonレスポール・カスタム (ブラックビューティー)・・・マーシャル1987-50Wアンプ・・・ステージの一番前で見ると、足元のエフェクターが無く直結で音を出す。あんだけ歪ませる技術はすごい・・と思いました。ミッシェルガン・エレファントのギターだった故アベ・フトシさんのギターも良かったですね。
そして彼も鮎川さんをリスペクトしていたようでした。

これも昔の話ですが、柳川市のブラックハウスというライブ会場で、ライブ後の打ち上げに参加させてもらったことがあった。この時、鮎川さんがトイレに行ってる隙に、鮎川さん愛用の傷だらけのGibsonレスポールベタベタと触って・・・いいなあコレ。 そして、鮎川さんがトイレから戻ってくると・・何もなかったようなふるまっていた。
鮎川さんは、音楽について語ると話が止まらない、しかも久留米弁で・・ロックに対する情熱が物凄い人でした。

シーナさんは、1999年11月に久留米の百年公園のライブでは、なぜかシーナさんを控室からステージへ誘導してくれという依頼があって、控室に行っってみると・・まるで・・ティナ・ターナのようで、獅子舞のようなヘアスタイルに、超ミニスカートという・・真横で見ると凄いステージ衣装に圧倒されました。
出番寸前の時、「タバコ持ってる?」とシーナさんから聞かれ、「ハイッ」とタバコとライターを渡したら、おもむろに火をつけ、タバコを一服すると「いくよ」とステージに駆け上がって行った・・すげ~、かっこいいなーと・・感心しとりました。
(今思えば、たばこの吸い殻はどこに捨てたのかなと、ふと思いました。)

ステージも凄かったです。この時の司会は、当日 急遽、参戦してもらったDJ YUYAさん)
(ちなみに、1999年ノストラダムスの大予言の年のことでした。Windowsの2000年問題もありました。)

シーナさんは、亡くなる数カ月前に、久留米の一番街のイベントに出演されてた時、3人で一緒に写真撮ってもらったのが最後でした。末期がんということが分かって、敢えて抗がん剤などの投与はされなかったらしいです。
最後までストレートなロック的な生き方を貫かれた人だったのではないかなと思います。

その他にも、グリーンピア八女の野外ステージでは、演奏中に、発電機が突然、爆発音がして故障し、15分中断・・音が出なくなったけど、その間に鮎川さんの久留米弁丸出しのMCは面白かったです。

鮎川さんは、ずっと久留米弁で通した人で、何を言ってるか分からないところもありますが、なんか人の良さがにじみ出る人で、それはステージでも変わらない。そして・・・また会いたいなと思う人です。

SHEENA & THE ROKKETSのオフィシャル・サイトは、多分・・日本のミュージシャンの中で、最も古くから存在するサイトだろうと思います。
しかも、コンピューターへの取り組みは早く、DOS-Vブルースという本まで出版されてたような気がします。
鮎川さんは、ホームページを全部自分で作ってすごいなーと思っていました。

1996年ぐらいのライブの後の打ち上げの時に、IBMのノートパソコンとガラケーの携帯からインターネットにつなぎ、自分のホームページを更新されてたのを見てました。
今なら、スマホで簡単なホームページは作れますが、当時は大変だったと思います・・デザインは、20年前のものなので、ちょっと古い感じはしますが、シナ・ロケのデータベースとしては、貴重です。鮎川さんとファンの方には、宝物なのではないかと思います。

シーナ&ロケッツのオフィシャル・サイト ロケットウェブ

鮎川さんの親友、操さんのTV出演 久留米六ツ門饅頭の画面 武田鉄矢さんも共演

今年か、来年、久しぶりに久留米でライブをやってもらうように動いてみたいなと思います。